大野道寛さんに聞く1「個人ブランディング」修業時代

かつての美容師イメージではとらえきれない。この人が新たな美容師像を作るのかもしれない、と思わせる人が今の20代、30代には増えてきています。その中でも強力な存在感を放つ、devoted大野道寛さんにお話を聞いてみました。第1回はこれまでの経歴について語ってくれています。

 

地元のサロンに就職するはずだった

――専門学校を卒業して、就職したのが『ACQUA』ですね。みんなが知ってる有名店に入ったわけですが、どんな雰囲気でしたか。

大野 その頃は美容師ブームも落ち着いてきた時期ですね。確か2006年です。僕は「シザーズリーグ」を見た世代ではなくて、「ビューティフルライフ」が中3くらい。だから美容師ブームの凄まじい時代のことは、先輩から聞いて「そうなんだー」という感じでした。

――学生時代からそういうトップサロンに就職したいと思っていた?

大野 いえいえ。僕吉祥寺の出身なので、地元で就職しようと考えていたんですよ。原宿のお店も記念に受けてみようと思って面接受けたんです。『ACQUA』は競争率が70倍とか100倍とか聞いていたんで、まさか採用されると思ってなくて。自分の親でも知ってるくらいのサロンですからね、せっかく受かったんだから、じゃあがんばってみようかなと。

――カットやカラーの基本技術はそこで学んだんですね。

大野 そうですね。カットのロジックを教えてくれたのは伊藤(和明)さん。小村(順子)さんや(菅野)太一朗さん(現『LANVERY』オーナー)、いろんな先輩たちが講習してくれました。綾小路(竹千代)さんからは、カウンセリングやコミュニケーションを教わりました。美容師という仕事の本質…美容道みたいな、そういう話は印象に残っていますね。

 

自分にとってのキレイを捨てお客様の「かわいさ」を拾う

――スタイリストデビューしてからはどうでした?

大野 丸5年アシスタントをやってからデビューしました。7年くらいかかるケースもありましたから、当時の『ACQUA』では普通ですね。アシスタント時代にほとんどのことはできるようになっていたから、スタイリストになっても大丈夫だろうと思ってたんですけど、いざ実戦になったらすごく苦労しました。

――技術には自信があったのでしょう?

大野 上手に切ってるのに、リピートしてもらえない、ということが続きましたね。それまで「形」にする練習しかしてこなかったから、相手のニーズを読み取ることができなかったんです。お客様がつかないと給与に反映されないから、スタイリスト1年目はアシスタント時代よりもお金がなかったような記憶があります。

――どのように乗り越えたのでしょう。

大野 ちゃんとお客様の話を聞く、ちゃんとお客様を見る。自分にとっての「きれい」じゃなくて、お客様にとっての「かわいさ」を拾うようにしました。1年少しして急に売上げが上がって、そこからは順調でしたね。それまではすごくもがいてた。女性の心理がわからないから、どうやったらリピートしてくれるんだろうって。

――技術が上手いのと、女性の心を理解するのは別ですからね…。

大野 そういう意味では、環境に恵まれてたと思います。お客様がたくさんついてる小村さんや綾小路さんの接客からはたくさんヒントをもらったし、フロントスタッフがマナー講座を開いてくれて、ああ女性ってこういうところ気にするんだなっていう気づきがあったり。あとは仕事が終わってから遊びに行っても、どうやったら女の子が振り向いてくれるんだろうってことは考えてましたよ。相手がこういう態度だったら脈なしだなとか(笑)。そういうのも仕事に役立ったのかもしれないですね。

 

雑誌の時代から自己発信の時代へ

――その頃、美容室を取り巻く環境が大きく変わりましたよね。外側に向かってアピールする手段が、雑誌じゃなくてネットになった。

大野 スタイリストになったら、先輩たちのように自分の作ったヘアスタイルを雑誌に載せたいと考えていたんですけど。でもデビューしたら雑誌の時代が終わってました。タイミングとしては最悪。その後はネットの時代……いくつかのポータルサイトが立ち上がって、なくなって、集客はホットペッパーがメインになって。

――若い美容師さんたちは、そういう変化にもスムーズに対応していきましたよね。

大野 そうですね。僕もスタイル写真をいろいろ上げていたんですが、その中でショートスタイルがヒットしたんです。それ以来、ショートが自分の売りになりました。お客様はたくさん来てくれたのですけど、いち美容師としては考えることがあって。これから時代の変化はますます激しくなると感じていたし、自分も変わっていきたい、環境を変えたいという思いが強くなりました。

――それで10年務めた『ACQUA』から離れることになったんですね。

大野 2016年くらいですね。辞めた後、同期の仲間が出店した『SAKURA』というサロンに移ったんです。ここでは若い美容師が集まって、自分たちの感性を活かしてやっていこうぜという感じだったんですけど、結果的には思い通りにはならなくて、2年くらいで去ることになります。その前後で、今いっしょに『devoted』をやっている木村(直人さん)のオンラインサロンに入ったんですよ。彼の書いているブログが面白くて、それまでもずっと読んでたんですけど、この人は自分の知らないことを教えてくれる人だろうなという感触がありました。オンラインサロンでつながって、その感触は当たっていたことがわかったんですけどね。

 

時代を見る、世の中を俯瞰する

devotedプロデューサーの木村直人さんが乱入

――木村さんからはいろんな影響を受けたと思いますが、特に刺激的だったのは?

大野 「時代の波を見る」ということですかね。事を起こすにしても、ちゃんとタイミングを見極めること。今じゃないというジャッジも時には必要。後は何かな……とにかく情報が早い人だから、まだ誰もやってない時期に「今は集客するならこうだよね」と言ったことが本当になったり、逆にみんながやり始めて普通になってしまったら、自分は違うやり方をするとか。時代を見る、世の中を俯瞰して見る、という姿勢はずっと役立っていると思います。

――オンラインサロンで学びながら、その後フリーランスという働き方になるんですね。

大野 前の職場を辞めてから、フリーでやるならウチにこない? といくつか誘ってもらったんですけど、お互いアシスタント時代から知り合いだった柳本(剛)さんのサロン『Lily』に参加することにしました。ヘアケアやくせ毛に特化したエキスパートたちが所属していて、プロフェッショナル集団と言う感じで、そこが魅力でしたね。

――『Lily』では、それまでと違ってマンツーマンの働き方に変わりましたよね。シャンプーから仕上げのブローまで、お客様と向き合ってみてどうでしたか。

大野 それまでのサロンでは、アシスタントと一緒にたくさんのお客様を同時並行で担当するというスタイルだったんです。でも自分の性格としては、もう少し長くお客様に向き合いたい、ちゃんとやりたいと思っていたんですよ。「あ、次のお客様待たせちゃってる、マズイなー」ってひやひやするような働き方はしたくないなと思っていました。中には「生まれて初めてショートにするのに長野から来ました」というお客様もいたりするわけで、時間をかけて対応したい。でもどのお客様も同じタイムしかかけられないシステムだと、それはできない。生まれて初めてのショートカットと、ロングのすそを切りそろえるのが、時間も料金も変わらないというのはヘンだよねと思っていたんです。

 

マンツーマンスタート。カット料金が3000円アップしてもお客様はついてきてくれた

――マンツーマンだとそのへんは掬うことができますね。

大野 ヘアスタイルを変えるって、人生の節目に関わることかもしれないんだから、もっと時間をかけて料金もそれに見合った額をいただく方が自然。そう思えたんで、マンツーマンでやってみて、やっぱり良かったと思っています。『Lily』に移ってから、それまでよりカット料金を3000円くらい上げたんです。もちろん来られなくなった方もいるけれど、料金が高くてもマンツーマンの方がいいという人も多かったですね。ちゃんと価値をわかってもらえた。クーポンで割引するというようなことも、その時点でやめてしまいました。

――では、そこからは順調に仕事が進んだと。

大野 お客様はそこそこついてくれたし売り上げも良かったのですが、でもどこかで自分にはこれといったものがないというか、なんか物足りないなという気持ちがありました。「ショート専門美容師」として認知もされてたんですけど、くせ毛マイスターののっち(野坂信二さん)とか、すごいキャラの濃いスタイリストがいたんで、それに比べると自分のキャラは見劣りするなと思っていました。そういう猛者たちと比べるからいけないんですけどね。

 

2つの力のどっちかじゃなく、両方あったら最強じゃね?

――ちょっとモヤモヤするところもあったんですね。ところで、『Lily』はヘアケアや矯正に力を入れていたサロンですから、最新のケミカルや製品情報も得られたんじゃないですか?

大野 初めて見る薬剤、何これ? みたいなのがたくさんありましたね。ケミカル知識が豊富なスタッフが多かったんで、疑問が出てくると質問攻めにしていました。自分にもそれまでやってきたパーマやカラーの知識はあったんだけど、技術や薬剤選択に対して「何故なのか」という理屈の裏付けができるようになったのは大きかったです。

――月刊マルセル(弊社刊)に協力してくれていた、ケミカルに強い一派の美容師さんたちとも交流がありますよね。デザイン志向が強いとされてた原宿青山のサロンとしては珍しく。

大野 確かに、黎明期のLilyって「おじさんケミカル界」に割って入った怖いもの知らずの若者たちみたいなところありましたね。それまで交じり合わなかったタイプの美容師同士だったし、年齢も離れていたりしたんだけど。ずいぶん勉強させてもらいました。でも僕当時から、ケミカルの強さと、アオハラのかわいいものを作れる力、両方あったら最強じゃね? と思ってたんですよ。どっちかひとつに絞るなんでもったいないって。実際、勉強しておいて本当に良かったと思ってます。

次のお話はこちら→ 大野道寛さんに聞く2 YouTubeで伝えたかったこと

 

prifile/大野道寛おおの・みちひろ

1985年生まれ、東京出身。山野美容専門学校卒業後、表参道のトップサロンにて10年勤務。その後フリーランスとしてマンツーマンで顧客を担当する。20代よりショートスタイルの評価が高かったが、現在は「ショート・ボブ専門美容師Ⓡ」を打ち出し、ヘアスタイルに悩みを抱えた女性たちの希望をかなえている。そのサロンワークの様子を収録した動画は自身のYouTubeチャンネルにて公開され、多くの視聴者が美容師の力を再確認することになった。チャンネル登録者数は現在12万人に迫っている。2021年には木村直人さん、田中亜彌さんと新ブランド『devoted』を立ち上げ、新たな展開を図っている。

 

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