ウカ(渡邉季穂代表)創業者で相談役の向原一義氏はかねてより病気療養中だったが6月28日、都内の入院先で逝去(享年82歳)した。7月8日には通夜が、また翌9日には葬儀・告別式が都内港区の東京都青山葬儀所でしめやかに行われ、故人とゆかりの深かった関係者ら延べ1300人が最後の別れを告げた。
祭壇には大好きだったゴルフのホールが再現された
9日午前11時半から執り行われた葬儀・告別式では、開式に先立って向原氏のプロフィールが紹介された。それによると、1937年に神奈川県で4人兄弟の長男として生まれた一義氏は21歳の時に父親を亡くし、母親と3人の弟たちのために理容技術の研鑽に励んだという。その結果、1968年には全国理容競技大会で念願の優勝を果たし、日本全国でヘアショーや講習活動を展開した。
49歳の時に喉頭がんで声帯を失ったのを機に業界の後進育成に尽力し「現代の名工」(1996年)に選ばれたほか、2008年には「黄綬褒章」も授章している。2014年には(株)向原の代表取締役を退任し(株)ウカの相談役に就任した。
待合所には愛用の洋服や靴も飾られた
葬儀では読経に続き、タカラベルモント代表取締役会長兼社長の吉川秀隆氏、ガモウ代表取締役会長の蒲生茂氏、友人でファッションデザイナーの山本耀司氏が弔辞を述べた。この中で吉川氏は同社と故人との深いかかわりを紹介した後、同社が1982年から毎年サイパンで開催したワインディング・コンテスト決勝大会に触れ、「向原先生には長年にわたって審査委員長をお願いした。常に業界に刺激を与え続けた先生はすべての若手理美容師にとって目指すべき存在だった」と述べ、また1992年に開催された世界理美容選手権大会で同社のブースステージを担当した時の思い出については「ボレロの曲に乗って演じた圧倒的なパフォーマンスは国内外の観客に大きな感動を与えた」と氏の卓越した技術への想いを熱く語った。
吉川氏は最後に、同社の創業100年にあたる2021年にパシフィコ横浜で開催予定の世界理美容技術選手権大会および同社の美の祭典・TWBCを祭壇に報告し「若人の活躍を天から応援して下さい」と結んだ。
また、広尾のトレーニングジムが一緒だったという蒲生氏は、向原氏が早くから理容と美容の垣根を超えた活動に取り組んでいたことに触れ「ユニセックスサロンを実践するなど常に業態開発のパイオニアでもあった。世界に広がっているukaブランドの未来を見守っていて下さい」と故人を偲んだ。いっぽう、向原氏に対していつもカリスマ性を感じていたという山本氏は、2年前に都内西麻布の交差点でばったり出会った時の話を披露し「思わず抱き合ってしまったが僕の人生の中では初めてのこと」と懐かしんだ。
これに対し葬儀委員長を務めた渡邊弘幸氏は、「2010年からukaの経営に携わったが、故人から言われたのは『あまり急ぐな』という一言だけ。常に暖かく見守っていてくれた。向原が私たちに教えてくれた“不屈の精神”と“本物の技術、本物の感性、本物の気配り”を受け継いで参ります」と挨拶した。
挨拶する喪主の渡邉季穂氏と葬儀委員長を務めた渡邊弘幸氏
喪主の渡邉季穂氏はお別れの儀で「闘病生活中も病室にワインを持ち込んで楽しんでいた。最後は私の手を握りながらはっきりとした口調で居合わせた皆に『ありがとう』と言い、穏やかな表情で眠るようにママと妹のもとへ旅立っていきました」とお礼を述べた。 (記者・小牧洋)