自由奔放に生きた82年に幕 最期の見送り
故横山義幸氏組織葬/SPC GLOBAL

去る6月18日に82歳で死去したSPC GLOBALの創設者・故横山義幸氏の組織葬が、9月26日午後1時から都内港区の青山葬儀所で営まれ、会員のほか業界内外の多くの参列者が最後の別れを行った。
SPC GLOBALが2019年9月に制作した「Yoshiyuki Yokoyama~He does not die,as for as there is the SPC GLOBAL」によると、11歳で父親を亡くした横山氏は神田で理容業を営んでいた伯母のもとで必死に働いた。開店前には駅前で「神田で一番高料金の店」という奇抜な宣伝文句を書いた看板を背負い、当時は誰もやっていなかった「サンドイッチマン」をして売り上げ記録を伸ばすというアイデアマンでもあったという。
毎年日本チャンピオンを輩出していたグループで腕を磨いた氏だが、「技術だけでは深いところを極められない」とスピーチコンテストも加えた“文武の二道”を提唱。これが広がって、SPC GLOBALの原点である「東京ジャイアンツクラブ」の発足へとつながった。同クラブはその後1966年に「SPC JAPAN」と名称を改め正式に組織化された。横山氏は自ら精力的に全国を回って仲間を増やし、会員数1,278社(2017年6月現在)という巨大なボランタリーチェーンを構築した。SPCのS=SUNNY(太陽)、P=PASSION(情熱)、C=CHAIN(仲間とのつながり)で「太陽と情熱の仲間」という意味が込められている。
葬儀は、メンバーたちによる勇壮な“弔い太鼓”で始まり、その後もSPC GLOBALのイベントでは恒例となっているサミュエル・ウルマンによる「青春の詩」朗読、川口隆夫第9代理事長および新井勉第21代理事長によるSPC憲章、SPC GLOBALの唱和と続いた。

弔い太鼓でスタート

岸上照幸葬儀委員長(第5代理事長)は挨拶でまず、逝去後に3回開かれたという歴代理事長会議のことを遺影に報告し「何の心配もありません」と語りかけた。そして「我々の活動には国境、宗教等の垣根は一切存在しない。この空気感を大事にしながら100周年に向けて突っ走っていきたい。兄貴、ありがとう」と結んだ。

岸上照幸葬儀委員長の挨拶

最初に弔辞を述べた山東昭子参議院議長は「ずっと応援して頂いた横山さんに議長就任を報告し『良かったね』と言ってもらいたかった。お会いするたびに『社会に貢献できる業界に成らなければいけない。そのためには国の在り方や世界の平和を考えることも必要』と熱っぽく語っていた姿が忘れられない。横山さんの魂、ポリシーは残されたメンバーの心の中に永遠に咲き続けるだろう。政治に携わる者も、横山さんのように日本の国や平和を思う気持ちを胸に刻んで行動していきたい」と語った。
また、下村 博文衆議院議員は「技術偏重だった美容業界にあって、50年以上も前にスピーチコンテストを提唱するなど経営者の意識改革をはかった」と氏の先見性を称えた後、全国大会で初めて会った時の思い出を「横山さんの話が始まるとその熱気が参加者に伝わり、会場があっという間に情熱と熱気に包まれていったことを今でも鮮明に覚えている」と懐かしんだ。
このあと、歴代理事長を代表して松園芳子第17代理事長、高橋敏明第15代理事長、中川好一第20代理事長の三氏が弔辞を述べた。この中で松園氏は入社直後に横山氏からかけられた言葉を紹介し「身体が小さいから何でも人の3倍努力しなさい。そうすれば普通の人間になれると言われ戸惑ったが、そのおかげで昔の自分からは想像できないほど充実した人生を過ごしていられる」と感謝した。高橋氏は「室長亡き後もSPC GLOBALはしっかりした基盤に支えられて成長し続けている。会員一人ひとりは組織活動を通じてしっかりと人生を歩んでいきます」と覚悟を報告した。いっぽう、中川氏は生前に故人がよく言っていた「生きている間に神になりたい」という言葉を紹介し「いま本当に神になりましたね。おめでとうございます」と語りかけたあと、「SPCは権力闘争も派閥も無い全ての組織の見本だよとも言っていた。それは自分にとっても誇りです」と結んだ。
親族を代表して喪主の横山第悟氏が「義幸はSPC一筋に生き、愉快で元気いっぱいの人生に幕を閉じた。自由自在な精神でこの世を愉しみ、約1か月の入院中も『髪の毛を染めたい』と言ったり、面会をお断りした一人一人に電話をかけようとしたり最後まで奔放に生きた。皆様のそばに再び来たときは変わらぬ熱きお付き合いをお願い致します」と謝辞を述べ、最後に沢田圭司理事長(第30代)の音頭による“SPCパンチ”で故人を見送った。待合所には故人が愛した帽子のコレクションも飾られ、参列者も懐かしそうに見入っていた。 (記者:小牧洋)

親族を代表して謝辞を述べる喪主の横山第悟氏


待合所には故人が愛した帽子のコレクションも