ヘアメイクアーティスト 加茂克也さん追悼企画
田村哲也×加茂克也 師弟対談

2020年2月、世界的に活躍したヘアメイクアーティスト加茂克也さんが逝去しました。享年54歳。SHINBIYOでは表紙やデザイン企画の他、加茂さんの師匠でもある田村哲也さんがホストを務めた連載対談企画にも登場していただきました。ここでは、2006年12月号の記事を紹介しながら、偉大なクリエイター加茂克也さんの仕事ぶり、人柄を振り返ります。

Shinbiyo 2006年12月号より転載

■田村哲也×エッジクリエイターズ

『mod’s hair』田村哲也氏がホストとなって、エッジの利いたクリエイターと繰り広げる対談企画。最終回は、ヘアメイクアーティストの加茂克也氏を招いての師弟対談です。アシスタント時代の意外な思い出からクリエイションの裏側まで、師匠・田村氏だからこそ引き出せる加茂氏の秘密をたっぷりと紹介します。

最終回 加茂克也に迫る

背景に見えるのは、制作中のウイッグ、ヘッドピースの数々。

田村哲也氏(以下、田村) 加茂君が『mod’s hair』に入ったのが88年だから、もう19年になるんだね。あのとき、いくつだったの?
加茂克也氏(以下、加茂) 22、3歳です。今考えると、大変だったろうなーと思って、田村さん(笑)。僕、本当に何も知りませんでしたからね。
田村 そうだったかな? まあ、俺が聞くのも何だけど(笑)、アシスタントについてて、どんなことが一番勉強になったの?
加茂 仕事のやり方から、人との付き合い方から、すべて勉強になりました。田村さんに「何も見てないね」って言われたこと、よく覚えてます。
田村 そんなことあったかな? どういうこと?
加茂 例えば、田村さんに「さっきのモデルの被ってた帽子、カッコいいよね」って言われても、僕は見てなくて「そうでしたっけ?」ってなっちゃう。
田村 当時は、周りを見る余裕がなかったのかな?
加茂 そうかもしれませんね。でも、それ以降は、ずうっとチェックしてますよ、かなり(笑)。観察は必要ですね。着てる服にしろ、行動にしろ、その人のすべてが出ますから。観察するとわかりますよね。
田村 じゃあ、そういう細かいことまで、きちっと見ておかなきゃいけないって思うようになったんだ。
加茂 はい。あと、田村さんについていて、いろんな人に会ったり話を聞いたりするじゃないですか。もう毎日、大変なことが起きてるんですよね。何それ? 何これ? うわっ、聞いたことないそれ、とか。
田村 僕がスタイリストやカメラマンと「〇〇の映画に出てきたあれさあ」とかって、話してるわけだ。
加茂 で、そのときは見たふりして、それをメモっといて、帰ってからビデオ屋でそれを借りて見たり。
田村 映画とかを?
加茂 休みの日とか、映画館とかに行くんですけど、疲れきっていたから、終わった瞬間に目が覚めるんですよ。それで、またビデオを借りるんだけど、また寝ちゃう(笑)。その繰り返しですよ。映画以外に、写真集や美術書も。
田村 相当、見たでしょう(笑)。
加茂 相当、見ました。とにかく、田村さんたちの話題を追いかけるのが大変でした。それまでは、音楽にちょっと触れることはあったとしても、アートに触れることは、まずなかったから…。
田村 じゃあ、20代はかなり勉強したんじゃない?
加茂 そうですね。田村さんから始まって、自分の好きなこと、興味のある分野とかに広がっていきました。
田村 俺、その頃のこと忘れてた。最近は何を聞いても応えてくれるから、加茂君って物知りなヤツだなって思ってたんだけど。最初からじゃなかったんだね(笑)。
加茂 そうじゃなかったんです。

Shinbiyo2006年7月号表紙 photo : YASUTOMO EBISU
「MADE IN JAPAN」と題し、日本人の目からもう一度「かわいい」を考えてみませんか? と問いかけた特集の表紙では、当時2歳だった娘さんの新鮮な目線が、アイデアのヒントになると語っていた加茂さん。目はボタン、耳にチェーンのピアスをしたゾウ型のヘアウイッグを披露してくれた。

ギリギリラインでクリエイトする
加茂克也のバランス感覚

田村 俺なんか、インターンの頃から、先輩技術者の仕事を見て「このお客さん、俺だったらこんなふうにして、もっとかわいくできるのに」って思ってたんだけど(笑)、加茂君は、俺の仕事見ながら、そういう風に考えたことはないの?
加茂 自分だったら…って、考えたことはないですね。
田村 そうなんだ。俺と加茂君は、つくるものが正反対だから、そういうこともあったんじゃないかなって思ったんだけど…。口が裂けても絶対に言えなかっただろうけどね(笑)。
加茂 自分でやるようになった頃、田村さんと同じ方向には行かないようにしようって思ってましたね。
田村 「しよう」って思ったんだ。俺のコピーになっても仕方ないって、そういう意味で?
加茂 そうです。違う方に違う方に行こうって。
田村 なるほどね。今でも忘れもしない、当時、加茂君が「作家的な仕事をするようになりたい」って言ったんだよね。
加茂 そうでした。
田村 うん、びっくりしたんだよ。僕は、自分で提案したものが街を歩く女性に影響できることを重視してて、ナチュラルでさり気ないスタイルが好きだったから。そういう僕のアシスタントについていながら、「作家的な仕事ができるようになりたい」って言ったから。どのあたりから、その「作家的」っていうのを思うようになったの?
加茂 その頃って、いろいろ勉強するじゃないですか、アートとか。で、シュールレアリスム(*1)も、その頃初めて知って。それまで、見たことなかったですからね、びっくりしましたよ。シュール系って、強いですよね、イメージが。ああいうのをつくる人になりたかったんです。今も、シュール系の作品、大好きです。
田村 ああ、なるほど。マルセル・デュシャン(*2)とか、マン・レイ(*3)とか。そういうのを見て、意識したのね。それは失礼いたしました(笑)。当時、よくからかってたよね。「加茂は、作家志向だからさあ」って、大した仕事してないうちから、そんなこといったやつ、いないからね。
加茂 当時、作家的になりたいっていうのは、普通じゃ嫌っていうか、こういうの(写真にある、コレクションに使用するウイッグを指して)をつくることが、作家的だと思ってたんでしょうけど、今となっては、自分のやってることが、作家的だとは思わないんです。一般の人にも、意味がなければいけないと思ってます。
田村 意味っていうのは、どういうこと?
加茂 例えば、このウイッグを見て、誰が見ても、何かかわいいなとか、ちょっと面白いじゃんとかって思ってもらえる、ギリギリのところ。よく、クリエイティブすぎると理解できないところってあるじゃないですか。そこには、自分はいたくないって思っていて。田村さんと近いですよ、俺。
田村 どこがっ?(笑)
加茂 ええっ、近くないですか?(笑) 仕事の中で、一番大事にしているところなんですけどね。僕のつくるものは、人には理解できないところが多くあるので、少しでも理解してもらいたいなって。行きすぎないというか。ナチュラルな部分を残すとか、きれいな部分を残すとか。強い中にビューティフルな感覚を残すとか、すっごい汚くてもちょっとかわいいよねとかって感覚は残しておきます。
田村 そういうのは意識してるんだ。それは僕と同じ、てんびん座のいいところでもあるね。
田村&加茂 バランス感覚(笑)。

SHINBIYO2008年1月号 photo : KAZUNALI TAJIMA(MILD inc.)
デザイン連載「DESIGN & VISION」の第1回目に登場。
「調和のとれた髪」をテーマに、上の表紙とは一転、シンプルで美しい5点のアップスタイルを見せてくれた。「ここ半年くらいは、さらっとつくったほうがカッコいい気がしてきて…」と心境の変化も語っている。10年以上経た今見ても、色あせないスタイルの数々だ。

加茂克也が考える
ヘアメイクアーティストの領分

田村 『フレンチ・ヴォーグ』の編集長カリーヌ(・ロワトフェルド)が、加茂君をすごく気に入って、直接ブッキングしてくれて、パリやN.Y.に行って仕事するようになったのは、ここ2年くらいだよね。東京に住んでるっていうのは、ハンデじゃないの?
加茂 ハンデじゃないですね。逆に良いくらいです。
田村 どこがいいの?
加茂 アイデアソースだし、世界のどこと比べても、東京は別世界ですからね。ずっと東京にいると、そういうふうには感じないんですけど。東京の面白さとか空気感を持って向こうに行くと、感覚がポン、ピュンッて変わるから、仕事するにはいい環境ですよね。東京と向こうの違いが、自分に与える影響って大きいと思います。
田村 ジョニオ君(*4)もそんな事言ってたな。感覚が変わるから、いいアイデアが出てきたりするんだ。じゃあ、東京にいて、ブッキングがあれば海外で新しい仲間と仕事するっていうのは、まあ、理想的なスタンスなの?
加茂 何か、悪い感じじゃないですね。彼らにとって、特別な人でいれそうな気がするんです。
田村 『フレンチ・ヴォーグ』の2月号で加茂君の特集を組んでくれたときに、「加茂のつくる作品というのは、常軌を逸したものであって…」って書いてくれてるんだけど…。
加茂 本当に、理解できないんだと思いますよ。
田村 欧米の人っていうのは、基本はリッチなビューティフルヘア、量感豊かで、艶やかできれいなヘアが理想だからね。ヘアデザイナーでありながら、加茂君みたいにしちゃうのって、理解の外なんだろうね。
加茂 そうでしょうね。僕の周りに、向こうのリッチな美しさを求めてる人っていないですからね。僕も、憧れないし追いかけてないし。
田村 そこが、東京を拠点にしている加茂君らしさになってるのかもしれないね。パリに住んで、そういう人を相手にしてるヘアデザイナーは、逆立ちしても加茂君みたいな発想はできないよね。
加茂 そうかもしれませんね。
田村 「これまでのヘアスタイルの概念を完全に逸脱した」とも書かれてるけど。前回、渡辺さん(*5)のコレクションでも、フェルトで帽子をつくってたし。俺、よく「それ、ヘアデザイナーの領域を超えてない?」って、言うんだよね。
加茂 よく言われますよね。でも、一番初めは、やっぱりヘアでやるんですよ、いつも。やりたいとも思いますし。で、やってみるんですけど、「いや、こんな頭して歩かないでしょう、普通」みたいな感じになっちゃうんですよね。じゃあどうしよう、でも強いものをやりたいってところから発想して、違うテクスチャーを使ってみたり…。そうすると、こういうふうに、ゴーンッと行っちゃうんです。
田村 じゃあ、自分の中では、毎回ヘアの領域って意識はあるんだ。
加茂 あるんですけど、結果は微妙ですよね。
田村 渡辺さんも、「それいいねって、やってもらいました」って、すごくサラッと受け止めてるんだよんね。この連載の7月号で渡辺さんと直に話をしてみて、すごくいい関係ができてるんだなって思ったよ。
加茂 そういう環境が、僕の周りにあるってことなんですよね。有難いですよね。でも、いつでも周りの意見に合わせるスタンスでいるんですよ。先日、カリーヌと話したときも、「ヘアメイクのトップの人たちはこだわらない。状況に合わせて、どんどん変えていける人じゃないと仕事ができない」って言われて、それは正しいなって思いました。僕もそういうスタンスだし。カリーヌに「これは、ちょっと…」って言われたら、「あっ、ですよねー」って言って、ピュンピュンッて変えますよ(笑)。
田村 それ聞いた人は、すごく意外な感じがするんじゃないかな。加茂君がやってる仕事見ると、すごくこだわって、頑固に自分のやりたいことを主張してやってきてると思うよ。
加茂 いやあ、こだわってたら、こんな仕事できないですよ。違うって言われればすぐに変えていくんですけど、結局僕も不器用なので、そんなに大きくは変わらないんですよね…。
田村 でも、それは渡辺さんとかカリーヌとか、自分が認めてる人が言った場合でしょう。
加茂 それは、そうですよね。
田村 やっぱり、そうだよね(笑)。じゃあ、自分自身の合格点は、どこでつけるの?
加茂 タイムリミットですかね。
田村 時間があれば、終わりはないんだ。
加茂 体力と時間的な問題だけですね。ショーであっても撮影であっても、やることは同じですよね。どこまでっていうのはもう、やった仕事で最終的に判断するしかないと思ってて、いつまでできるかとは考えますけど、どこまでっていうのはないですね。
田村 そういうところ、加茂君は、すごいタフだよね。時間がある限り、ずうーっとやってるもん。
加茂 性格ですね、これは。
田村 そこまで突き詰められるから、一歩抜けたんだと思うよ。その、何ていうの、粘着質っていうか(笑)。
加茂 あー、ヘビ年ですからね。
田村 いや本当に尊敬する、そのタフネスは。身体もタフだけどね。その精神面っていうか、自分のつくるものに対する貪欲さは、あまり見たことないよね。なるほど、加茂君の時間が許す限り、ね。
加茂 そんなカッコいいものじゃないですけど、時間は、いつか来ますからね。どこまで、やっていいかわかんないんですけど…。時間が決めますからね。で、時間がくれば、もう行くしかないですから。それが偶然ですから、偶然がいちばんいいんですよね。
田村 たまには、強君(*6)やソニア(*7)とか一緒のスタッフに「いい加減にして」って言われたりしないの?
加茂 まあ、それはたまに。ヘビ年ですから(笑)。

田村哲也(たむら・てつや)/1972年、渡仏。撮影専門のヘアデザイナー集団であった『mod’s hair』に参加。ヘルムート・ニュートン、ギィ・ブルダン、ハンス・フォイラー等の写真家と有名ファッション誌で活躍。74年、パリには最初の『mod’s hair』サロンを、78年に東京に国内1号店をオープン。『コム デ ギャルソン』パリコレデビューショーをはじめ、『シャネル』、『ディオール』、『イッセイ・ミヤケ』などのショーも手掛ける。

加茂克也(かも・かつや)/88年、『mod’s hair』に所属。田村哲也のアシスタントを経て、ファッション雑誌、広告、ファッションショーで活躍。96年より、『ジュンヤ ワタナベ・コム デ ギャルソン』、『アンダー カバー』のパリコレクションを担当。03年、毎日新聞社 毎日ファッション大賞で、ファッションデザイナー以外初となるグランプリ受賞。最近では、『VOGUE ITALIA』、『VOGUE FRANCE』も手掛ける等、国内外で活躍。

※プロフィールは、2007年11月の発売当時の内容です。

*1 シュールレアリスム/夢や幻想など非合理的な潜在意識界の表現により、人間の全的解放をめざすという、1924年に起こった芸術運動。
*2 マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)/1887-1968。フランス出身の美術家で、ニューヨーク・ダダの中心人物。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年前半で放棄した。チェスの名手としても知られた。
*3 マン・レイ(Man Ray)/1890-1976。アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。
*4 高橋 盾(たかはし・じゅん)/69年生まれ。『アンダーカバー』デザイナー。94年4月、94⁻95秋冬東京コレクションに初参加。01年、毎日新聞社 毎日ファッション大賞受賞。02年10月、03年春夏パリコレに初参加。
*5 渡辺淳弥(わたなべ・じゅんや)/ファッションデザイナー。84年、株式会社コム デ ギャルソンに入社。92年、『ジュンヤ ワタナベ・コム デ ギャルソン』をスタート、93年にパリコレ初参加。
*6 野口 強(のぐち・つよし)/64年生まれ。スタイリスト。87年、スタイリスト大久保篤志氏に師事。89年よりフリーとなり、女性ファッション誌、男性ファッション誌、広告を中心に活躍する。
*7 ソニア・パーク(そにあ・ぱーく)/スタイリスト。雑誌や広告のスタイリング他、コラムの連載や企業アドバイザーを務める。セレクトショップ『ARTS&SCIENCE』などのオーナーでもある。